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克己の河童

2009 年 2 月 23 日

昭和61年(1986)年2月12日、国本克己さんが不慮の事故で亡くなられた時、実弟の昭二さんは、2年後に『克己の河童』と題する美術エッセイを出版しています。兄、克己さんは、およそ40年間にわたって河童の絵を描いています。昭二さんは、兄の河童を求め、口コミで巷を探し歩いたそうです。

巻頭言に

絵を語ることは、積極的な鑑賞です。
絵にたいする、最大の失礼は、黙殺であって、
語ることは「表敬」を意味します。
たとえ、それが要を得ないものであっても。
語られもしない絵ほど、みじめなものはありません。
この一冊は私にとって、
亡き兄、克己への「表敬の一冊」でもあります。昭二

とありました。


克己の河童 国本昭二

克己の河童 国本昭二



国本昭二さんは、画家だった兄の絵を語ることが「表敬」を意味すると言い、さらに、兄の絵を集めて、それに物語を添えて画集を出版することで、供養を遂げています。私たち僧侶がする供養においても、「故人の人生を肯定し、表敬すること」が大切です。

その後、平成17年に昭二さんが亡くなられた時、奥さんによって、昭二さんの遺稿集 『クリの木の墓』 が出版され、また、克己さんの遺作(洋画22展、色紙3点ほか)が、生家のある加賀市へ寄贈されています。かつて、昭二さんが故人の生業を表敬することで兄を供養したように、今度は奥さんが、お二人の生きざまに敬意をあらわすことで兄弟の供養を遂げられました。

このとき、寄贈された作品 (洋画)は、2006年2月24日から3月26日まで、石川県加賀市の加賀アートギャラリーにおいて 「没後20年 国本克己 洋画展」 にて展観されました。

昨年、新市誕生を記念し、国本昭二氏ご遺族より加賀市へ、洋画22点、色紙3点及び貴重な資料を寄贈していただきました。今年は氏の没後20年でもありますので、感謝の意を顕わし、氏の業績を称えるため、「没後20年 国本克己洋画展」を開催します。加賀市は氏の生まれ故郷であり、没後20年にして、ようやく果たしえた「帰郷展」でもあります。

没後20年 国本克己 洋画展

没後20年 国本克己 洋画展



戦後の抽象全盛の時代、氏も多くの抽象画を描いています。代表的な作品としては、馬と人間と車輪を赤と黒で構成したエネルギッシュな「人間」(1958年)や「風化(貝)」(1961年)等があります。「風化(貝)」は計算された構成に、櫛目のマチエール(画肌)とグラッシュ(おつゆがけ)した画面が美しく、このシリーズの代表作です。1964年の欧州取材旅行後、「ノスタルジア」(1968年)に代表される、線を強調した前面に静物を配した、ロマンチックな作品が続きます。人物画に一変して4年前の、「仮面と女」(1973年)は、ミミズクが潜む仮面のついた木を背景に立つ女が描かれ、幻想的な作品です。人物の顔から首、肩に続く線の流れの美しさ、左右に広がる根と大地の処理で、奥行きと空間を出しています。モノトーンで重苦しくなる画面や赤い花がやわらげています。氏はモジリアニを取り上げて、人物のフォルム、線について話されたそうです。「ひとつの線に対し、次に接する線のかかわりかたで、美しさ、動き、流れ等が決まる。」と……。この作品は人物の線の流れの美しさが際立っています。この後、絶筆となる作品まで、家族や愛犬、鳥など身近で愛すべきモチーフの中に、「ロマン」を求めて真摯に美を追究された国本克己氏は、雪による不慮の事故で1986年2月12日、帰らぬ人となりました。二紀会、行動展、一陽展に作品を発表し続け、一創会創設の中心的役割を担った国本克己氏の突然の死は、石川県画壇に大きな衝撃を与えました。しかし、氏の分身ともいえる数々の作品は今も輝きを放っています。

国本克己氏の作品を見るときに忘れてならないのは、実弟、昭二氏の視点です。国本昭二著「克己の河童」で述べられている「油絵から滲み出ている詩情」は、とりもなおさず国本克己氏が求めていた「ロマン」であり、さみしがりやの氏の心模様を端的に表しています。デフォルメされた顔は、哀しそうにも、優しそうにも、気難しそうにもみえ、みるものを物語へと誘います。幼いころ聞いた懐かしい唄が耳元に聞こえてきそうな。ノスタルジックな「国本克己の世界」を、どうぞご堪能ください。

(「没後20年 国本克己 洋画展」市立加賀アートギャラリー・2006年・チラシ)

 
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