金色不動王
2009 年 2 月 10 日
京都青蓮院の青不動、高野山明王院の赤不動とともに高名な滋賀県園城寺(三井寺)の黄不動は、承和5年(838)当時25歳であった智証大師円珍が、洞窟内で坐禅中に虚空に現れた金色の不動明王を画工に描かせたと伝えられています。その根本像が、今なお秘仏として厳重に護持されています。
その根本像をベースに、平安時代後期以降、天台系寺院を中心に黄不動尊の転写が盛んに行われ、遺品が多く伝えられています。その中でも、最も古いのが、京都曼殊院が所蔵する尊像(国宝・平安時代 168.2cm×80.3cm)です。不動画の名品です!

金色不動王
以前、曼殊院本が某博物館に展示されたとき、丸一日、陳列ケースにへばりついて、懐中電灯を片手に画像をくまなく照らし、それを単眼鏡で拝観させていただきました。後日、そのデータをもとに国宝の原寸大模写を試みたのが上の写真です。
肉身を黄色に塗って、上半身裸で両膝頭をあらわにし、頭の先から足の先に到るまで、格闘家を思わせるようなパワフルな肉体表現が特徴です。上の歯で下唇を嚙み、その両端から牙を上に向け、両眼を丸き見開いて、真っ正面を向いて直立する姿勢は、筆をとるものを震え上がらせます。絵画というより、まさに生身の秘仏霊像、円珍さんの息吹を感じます。今、ここに、生きておられます。
肉身の輪郭線は、墨線に朱線を重ね、頭髪には金泥線を交えます。曼殊院本は、瓔珞や腕釧などの装飾具に箔を用いているようです。黄色の透明感や、おなかのあたりが照り輝くような彩色には、ずいぶん骨が折れました。
ただ、深く深く呼吸し、無心に線を引き、脳裏に焼きついた霊像本尊の色彩を思い浮かべながら、カワラケで絵の具を溶いていると、いつの間にか瞑想状態に入っています。それでも、なお、描き続けていくと、ふと、円珍さんの命を賭した修行の情景が彷彿としてよみがえってきます。
承和5年(838)の冬月、和尚昼に石龕に坐禅するの間なり。忽ちに金人有り、形を現して云う。汝まさに図画成形して慇懃に帰仰すべし。和尚問うて云く、この化来の人は方に以て誰と為すか。金人答えて云わく。我は是れ金色の不動明王なり。我、法器を愛念するが故に、常に汝の身を擁護す。すべからく早く三密の微奥を究め、衆生の舟航となるべし。ここにその形を熟見するに、魅偉奇妙にして威光熾盛なり。手に刀剣を捉り、足、虚空を踏む。ここにおいて和尚頂礼して意にこれを存す。即ち画工をしてその像を図写せしむ。像は今猶これあり。
(大日本仏教全書『智証大師全集』第4巻1364頁)
円珍さんにあやかって、模写本をおまつりし、毎日、護摩供を修法しているうち、薫香で画像の上部(お顔の部分)が見えなくなってきました。



このお不動さん、
たまに動いてませんか?
気のせいでしょうか?