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クリの木の墓

2009 年 2 月 6 日

平成17年に国本昭二(エッセイスト・数学教師・クジラ博士)さんがお亡くなりなり、その後、三回忌の法事に合わせ、故人が大好きだった宝泉寺境内に国本さんのお墓が建てられました。


先生ご夫妻は、教え子をわが子のように愛しておられ、教え子がいつも遊びに来ておられ、それはお亡くなりなった後も変わらないようです。それで、先生のお墓のデザインを美大に進んだ教え子が担当する運びとなりました。



お墓のデザイン??

それは、そもそも、20年前に書かれた先生の遺書ともいえる下記の投稿「クリの木の墓」に起因するところのものです。

クリの木の墓


父親の葬式を出した。肺ガ
ンを手術して、三年目の死で
あった。
昭和四十七年以来、私は身
内の葬式を四回出した。
日に日に死期の迫ってくる
身内を毎日見ているほど、悲
惨で苦しいものはない。でき
るなら、看病の一つもできな
かったことを悔やみ、悲しみ
の涙をこぼす、外にいる身内
になりたい。
きれいに整えられ、棺に納
められた安らかな死に顔を見
る方がまだ楽だ。
しかし、四人の「死に至る
までの過程」を見つめて来て
なにか「死に対する免疫」が
できたような氣がする。
リン・ケインの体験記「未
亡人」の中に、亡夫の写真に
幾度もコブシを振り上げたと
いう告白がある。「将来に対
する備えもしないで、なぜ私
を未亡人にしたか」という怒
りである。それは、死は当然
やってくるものと肯定して、
その手立てを確かに立てるべ
きだという思想である。亡父
の写真に陰膳(ぜん)を供え
て、死んだことを悼み悲しむ
のは、死を認めようとしない
否定の思想である。
死の免疫は、死の肯定につ
ながる。それは血清のような
働きをして、死をまともに正
視できるようにする。
死は突然、思いがけなくや
って来るものではない。当然
だれにでもやって来るものだ。
「縁起でもない」と忌みき
らって逃げまわらないで、後
に残るもののためにできるだ
けの手立てをしておくことだ。
私はそれを死の肯定と呼ぶ。
そうだ、私も遺言しよう。

遺 言

一、通夜は十時以後やっては
いけない。連日の看病で
みな疲れきっているのだ
から。
二、葬儀は三十分以上やって
はいけない。このごろタ
タミに三十分も座れるも
のは少なくなったのだか
ら。
三、私の墓はクリの木で作れ。
私を知る人がこの世にい
なくなったころ、その墓
も朽ち果てるだろうから。

(国本昭二遺稿集『クリの木の墓』
北國新聞社出版局発行 2100円
ISBN4-8330-1497-1? C0095 \2000E)


さて、その「クリの木の墓」のデザインや如何。

クリの木の墓

クリの木の墓



教え子さんたちが考えたお墓は、数学の先生にふさわしいものということで、「分度器と三角定規」をかたどったお墓に決まりました。

はじめ、冗談かと思いましたが、彼らは大まじめです。
美大出身の教え子さんが図面を書き、それを石屋さんがアレンジし、本当にクリの木でこしらえるお墓の設計図が寺に持ち込まれました。

「住職さん、こんなん、いかがでしょうか? どこにもない、素敵なデザインですよぉー」

自信満々です。

「い、いやぁー、困った!(声には出せないけれど)」

実際、墓地を管理する住職として、そんな奇抜なお墓、認められません。

かといって、美大生の肝いりのデザインですからねぇ‥。

いやはや、まったく、本当に、困り果てました。

「でも、やっぱり、シンプルで‥」

最終的に、奥さんのこの一言で、クリ木のまんま、素材を生かした普通のカタチに、なんとか落ちつきました。

あー、よかった。(ちょっと安心しました)

ところが、どっこい。

いざ、デザインが決まっても、肝心の木材(クリの木)がどこにもありません。

それで、全国を探し回って、ようやく大阪の材木屋からクリの木を仕入れ、それを一年乾燥させ、その間、浄土真宗の和尚さんに「南無阿弥陀仏」を揮毫していただき、それを日展作家の教え子が彫り、さらに輪島塗の職人が漆をかけるという、とんでもない手間ヒマをかけて、ようやくできあがったのが、写真のお墓です。(通常、石でこしらえるお墓より高くついたんじゃないかしら)

ともあれ、お墓の建立を記念し、昭和42年から平成12年まで執筆された北國新聞の文化欄コラム「潮間帯」の原稿を奥さんがまとめ、先生の遺稿集『クリの木の墓』が出版されました。

遺稿集の巻頭言で奥さんは、「クリの木の墓」について次のように述べています。

クリの木の墓―国本昭二遺稿集

国本昭二遺稿集『クリの木の墓』


夫を看取った後、コラムとして寄稿した中に、「クリの木の墓」について書いた文章があったことを、ふと思い出しました。二十年以上も前、「そうだ、遺言しよう」と筆を運んで、墓をクリの木で作るように記した一文です。どこまで本心だったのか、今となっては問い返すことはかないませんが、そう記した「遺言」を聞き届けようと思い、クリの木の墓を作ることを決めました。
事情を知らない人に、風変わりな墓について理解していただき、そう願って、当初はそのコラムが掲載された新聞のコピーを読んでいただければ、と思っていましたが、生前の夫の願いや周囲の方々の勧めもあり、連載したコラムを集めてまとめた次第です。

(中略)

あらためて「クリの木の墓」の文章を読み返しますと、さほど手間をかけずにできると本人は思っていたようですが、実際は、適当な木の確保やその乾燥などに、意外なほどの時間と手間とを費やすことになりました。「遺言」も記されたこの本を、その墓前にささげたく思っています。

奥さんは、先生の20年前の「遺言」を実現すること。
そして、先生の原稿を整理することで、先生の供養を遂げられました。
まさに、これは、先生の奥さんにしかできないすばらしい「供養」です。

「私、五本松(宝泉寺)さんが来られるの、楽しみなの。いつでも、ヒマにしてるから。また、お話、たくさん聞いてくださいね!」と、言いながら、今日もまた、先生の原稿を整理しておられました。まだまだありそうです。原稿‥

「こんなの、私が死んだら、ただの紙くずなのにね、おかしいわね、ウ、フフ‥」

それから、一昨年二月、奥さんは、五十年前不慮の死を遂げられた、先生の兄の没後二十年を記念に、某美術館に全作品を寄贈し、遺作展「国本克己 洋画展」を開催されました。お兄さんの展覧会は後日紹介します。

そして、先生の三回忌に「クリの木の墓」に遺稿集を墓前に捧げ、「国本昭二」というライフストリーの最終章を書き上げられました。

私は、月に一度、奥さんの近くに、ただ寄り添い、おまいりと傾聴というスタイルで、ささやかなお手伝いをしています。
まさに、グリーフケアは十人十色、いろいろですね。貴いご縁をいただき感謝申し上げます。
先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

合掌

 
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  1. 美珠
    2009 年 2 月 7 日 12:13 | #1

    斬新な形のお墓って管理できないのかしら?
    いろんな形があってもよいと思うけど・・・?
    HP綺麗にできましたね。でも・・飽きずにね。

  2. 浅の川 吉久  店長  林 由美
    2009 年 2 月 26 日 14:19 | #2

    突然失礼いたします。国本先生の教え子のものです。

    お墓出来たのですね。安心しました。普通?のお墓を建てるより大変だと以前奥様からお聞きしたので………

    近日中にお参りに伺わさせていただきます。

    ありがとうございます。   合掌

  3. marici
    2009 年 2 月 26 日 21:25 | #3

    浅の川 吉久  店長  林 由美 :

    突然失礼いたします。国本先生の教え子のものです。

    お墓出来たのですね。安心しました。普通?のお墓を建てるより大変だと以前奥様からお聞きしたので………

    近日中にお参りに伺わさせていただきます。


    うれしいご縁をいただき感謝申し上げます。
    きっと奥様も喜ばれると思います。
    その日を楽しみにしています。

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