無常の風
2009 年 8 月 8 日
朝、タヌキが死んでいました。
苦しいカラダをひっぱって、ここにたどり着き、ついに息絶えたようです。
まだ死後硬直はありませんが、アリが群がり、ハエが飛び回っています。そこにスズメバチが参入し、タヌキの見開いた眼球をねらい、また半開きの口から何度も侵入を試みています。
いてもたってもいられず、箒で虫たちを追っ払い、タヌキの死体を山の草むらに運んでほうむりました。
仏教には、冥想の一つのプロセスに「九想観」があります。 死体が時の経過とともに変化してゆく過程を九段階に分けた、死についての九つのイメージを順次観じてゆきます。
弘法大師『続遍照発揮性霊集補闕鈔』巻第十にも「九想の詩」が収められ、そこでは、死の直後の様相が次のように記されています。
《訓み下し文》
九想の詩
新死の相 第一
世上の日月短し 泉裏には年歳長し
速疾なること蜉蝣の如し 暫爾にして同じく落崩しぬ
風雲のごとく貪庫を辞す 火ふ(土+孚)のごとくに欲城を罷む
生期既に盈ちて 死籍方に名を註す
諸の寿命は霞の若し 忉利の匠堂に非ざるも
救ひ贖はんこと未だ所を解せず 詠吟して傷を懐く
《口語訳》
この世の日々は短く、死後の黄泉の年月は長い。
現世の命の早くすぐゆくことはかげろうのごとく、暫時を生きてやがて死に去ってゆく。あわただしきこと風雲のごとくして貪りの住家を辞し去り、かこい火のたち消えるように欲望の城をやめ去ってゆく。
命数は既に満了して、閻魔庁の死籍簿に名を記されたのである。
生きとし生けるものの寿命は霞のようにはかなく、忉利天の力を藉りても、つぐないのてだても施しようがなく、かくて詩によみあげて悲しみ嘆くばかりである。
(『弘法大師 空海全集』第六巻 p.688)
その後、肪張の相・青おの相・方塵の相・方乱の相・さ骨猶連なるの相・白骨連の相・白骨離の相・成灰の相へと続きます。
仏教でいう「忉利天」は、六欲天の第二。三十三天(須弥山頂上にある。中央に帝釈天の止住する大城があり、その四方の峰に各八天があり、合して三十三天となる)と訳します。その住人の寿命は一千年で、その一昼夜は人間の百年に相当するそうです。
し かしながら、たとい忉利天の堂といえども、無常をのがれることはできないということです。
ん? クール! それが愛しいものであればあるほど、なおいっそう..
私は、観想を忘れ、ただオロオロ‥。 タヌキを山に運んで、経を口ずさみながら穴を掘るばかり。
ただ願わくば、みほとけの光に照らされ、ともに迷いの絆より解き放たれ、心やすらかであらんことを。
南無




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明日お気をつけて?!!