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明神、御進発。

2009 年 9 月 4 日

先月、高野山麓の天野大社を参拝しました。天野大社といえば、神と仏が同居する神仏習合の神社で、高野山の住侶がこぞって尊崇する鎮守様です。

ちょうど社殿を案内して下さった神官から、明神様が元寇の折には、異国降伏に御出陣あそばされたというお話を拝聴することができました。その勇ましいお姿のスケッチが、高野山に伝存していたことを思い出しました。



13世紀はじめ、モンゴル高原に住む遊牧民族が、チンギス・ハンによって統一され、以後、またたく間にユーラシア大陸全土にまたがる広大なモンゴル帝国を樹立(1271年に国号を「元」と改める)し、日本にも服属を要求し、二度にわたって九州沿岸に攻め寄せてきました。この元による侵略が「元寇」です。また、日本の当時の年号をとって「文永・弘安の役」という呼びかたもあるようです。「蒙古襲来」ともいいますね。

蒙古襲来絵詞  宮内庁

蒙古襲来絵詞  宮内庁



いずれにせよ、二度ともに「神風」が吹いて、モンゴル軍を撤退させたと記憶しています。当時の人々は、この戦争のことを「神戦」と呼んだことは確かなようで、この戦いは人間同士の地上の戦争というだけでなく、天上における神様同士の戦争と考えられていたようです。

四社明神像 一幅 絹本著色 高野山西禅院

四社明神像 一幅 絹本著色 高野山西禅院



弘安3年(1280)、鎌倉幕府は諸国の寺社に異国降伏の祈祷を依頼しています。史料 (太政官牒・興山寺文書・『かつらぎ町史 古代中世史料編』) によると、弘安4年(1281)4月、天野社の四社明神のうち蟻通神の託宣があり、諸国の神々は議定をおこなって、国中の神々がモンゴル軍と戦うこととなり、その中でも「天野大明神」が第一陣として出陣することを決めたといいます。さらに、明神の進発は「廿八日丑刻」と定められ、それ以前の21日までに神々は武装を整えること、進発に際しては「瑞相」があらわれて、「来る六七月中、本朝安全と成るべし」という予想まで飛び出したとされます。

果たして、4月21日には、天野社の境内に群がっていた数千羽のカラスが、ただ一つがいだけを残して一斉に飛び立ったといいます。さらに、28日には、社殿が地震の時のように鳴動し、怪しげな光が激しく光って、まるで天変地異がおこったようであった、と。

高野山には、当時の天野社の四社明神の進発の様子を伝える絵画があり、武器を携え、雲に乗って戦地に向かうお姿が描かれています。空にはカラスが飛んでいます。

つづく

 
カテゴリー: よもやま話 タグ:
  1. saltbeach
    2009 年 9 月 5 日 02:56 | #1

    青空の下にバーミリオンの神殿。
    記事を読んで、また思い起こしました。
    なんと贅沢な旅でしょう。
    ありがとうございました。

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