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神馬の鈴音

2009 年 9 月 5 日

元寇のつづきです。

あれから後、三度目の蒙古襲来がウワサされた時にも、同じような現象が起こっています。



丹生酒殿神社

丹生明神 「御出立所」という丹生酒殿神社



去る弘安4年(1281)4月21日、天野社の境内に群がっていた数千羽のカラスの群れが、一斉に飛び立ち、ただ一つのつがいの他は社頭にまったく姿が見えなくなり、さらに、同じ日、三谷の酒殿神社の扉が自然に開き、神馬が西に向かって走り去る鈴の音が聞こえたといいます。

弘安4年の襲来の際、同じ現象を受けて祈祷をおこなったところ、「神風」が吹いて元軍が撤退したので、その佳例に従って (3度目の襲来に備え) 、今回は高野山上の3ヶ所(御影堂・金堂・御所)で7日間の祈祷をおこなったと述べられています。

三谷の酒殿神社は、丹生明神の 「御出立所」 とされていた神社であったので、神馬の鈴音は、まさに明神の出陣の合図であったようです。

去る閏四月廿一日、天野社群烏悉く去り、ただ一双のほか社頭に見えず。その上同日、三谷酒殿<明神御行時御出立所>の御戸自然に開き、同暁、彼の社より神馬の鈴音ありて、西を指して去らしむるの由、神主常家ら注し申し候、この事、不日馳せ申さしむべき候といえども、これにつきまず御祈祷をなし、いささか日数を送り候、去る弘安四年夏ごろ、ことに懇祈を抽きんじ候のところ、感応掲焉の間、佳例たるにより、宿老分<御影堂>・入寺分<金堂>衆分<御社>三ヶ所において、七ヶ日を点じ、老若一同の懇誠を励まし、昼夜不断の精祈を致し候。よって御巻子を進し候。この旨をもって御披露あるべきの由、衆議により言上件の如し。

五月十六日(弘安七年) 検校法橋祐信状

進上 秋田城介殿

(高野山検校祐信言上状 『宝簡集』 国宝・金剛峯寺)

これらは、単なるウワサではなく、天野社の惣神主であった常家の証言として、鎌倉幕府において要職にあった安達泰盛に伝えられています。その古文書が、今なお高野山金剛峯寺(高野山霊宝館)に保管されています。

その後、元軍を追い払った戦功により、天野社には和泉国近木荘(こぎのしょう=現在の大阪府貝塚市西南部あたり近木川流域)が幕府から寄進されています。

 
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