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佐用豪雨

2009 年 10 月 8 日

昨日、中山寺(兵庫県宝塚市)の今城良瑞さんの運転で、佐用豪雨の傷跡が残る瑠璃寺(佐用町)にお見舞いに行ってきました。

奥様から被害状況をお聞きし、現場に連れて行ってもらいました。近くの川が増水し、境内にかかる橋が流され、川岸の聖天堂の地面がえぐれ、基壇が流されたようです。その地面が陥没し、青いブルーシートがかけられていました。聖天堂は、かろうじて、川岸にのっかているようなありさまでした。



基壇が流れた瑠璃寺聖天堂

基壇が流された瑠璃寺聖天堂



お話しによると、いち早く播磨支所の青年僧侶がボランティアにかけつけられて、境内に散乱した樹木の後片付けに汗を流されたそうです。おかげで、なんとかお寺まで車を走らせることができました。

しかし、行政機関等による境内周辺の本格的な復旧作業はあまり進んでいないとのことでした。瑠璃寺は、美術工芸では、国指定の重要文化財2件・兵庫県指定文化財5件・南光町指定文化財3件を有します。建造物も相当古い価値あるものだと推察されます。行政の積極的な復興旧支援をお願いしたいところです。

そもそも、船越山瑠璃寺は、神亀五年(728)2月、聖武天皇の勅願により、行基菩薩が開創したとされる古刹です。現在は高野山真言宗の別格本山です。行基菩薩が瑠璃寺の地へ赴く発端になったのは、神亀五年、乾の方に夜な夜な光るものがあって、みんなが怪しんでいる(『播磨鑑』)というので、その奇瑞を求めて山に入ると、一人の老翁が忽然とあらわれ案内をしてくれたそうです。実は、その老翁が千手観音の化身だったと。また、天狗の案内を受けて薬師如来を拝したとか。その因縁で、瑠璃寺の本堂は千手観音、奥の院には薬師如来をそれぞれおまつりしています。山の上にある奥の院の薬師如来は「峯の薬師如来」と呼ばれ、多くの方々から厚い信仰を受けています。

ともあれ、山に包まれた伽藍のスケールに圧倒されます。明治六年(1873)に描かれた「瑠璃寺境内図」によると、2万2千22坪5合とあります。山の上からこの広大な境内に沿って流れる河川がはんらんしたのですから、瑠璃寺の被害は推して知るべしです。

瑠璃寺のお隣の常福院さんも被災されたようです。庫裏と車庫にも土砂が流れ込み、車庫の車が埋まってしまったそうです。ご住職がブロックベイを積み上げたという車庫には、川の水があふれ、地上1.5メートルを超える高さまで押し寄せたであろうラインがくっきりと残っていました。自家用車が一台ダメになったようです。

土破に埋もれていた常福寺の車庫

土破に埋もれていた常福寺院車庫



川岸に散乱する赤く塗られた橋桁の残骸をながめながら、あらためて佐用豪雨の甚大な被害に言葉を失いました。

昨年夏、金沢でも浅野川がはんらんし、私たちは大変な被害をこうむりました。その前は、能登半島地震です。それゆえ、同じように災害に遭われた方々のお氣持ちが痛いほど伝わってきます。

いよいよ、今月後半から、高野山真言宗・総本山金剛峯寺のご支援をいただき、佐用町で高野山足湯隊の活動を開始しようと思います。果たして、どこまでお手伝いができるかわかりませんが、がんばりたいと思います。またどうぞよろしくお願いお願いいたします。

今城さん、運転おつかれさまでした。大変お世話になりました。中山寺の皆様にもよろしくお伝え下さい。ごいっしょに、佐用町で汗を流しましょう! よろしくお願いします。

 
カテゴリー: 高野山足湯隊 タグ:
  1. 2009 年 10 月 8 日 22:12 | #1

    星供伝授、如何でしたでしょうか?足湯隊、がんばってください。

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