仏法の怨霊
2010 年 1 月 9 日
与えられた仕事を一生懸命なしとげることが、そのまま仏道修行に通じると説いた仏教者がいます。鈴木正三 (1579 – 1655) その人です。
三河武士であった正三は、常に生死について考えてきたようで、42歳で出家してからも、より在家の人々に近い立場で仏教を思索し、特定の宗派に拘らず、念仏などの教日々の職業生活の中での信仰実践を説いたといわれています。
正三は出家しても俗名である。三河石平山の人、徳川将軍の旗本として大坂陣で武功を挙げ、天草の乱に加わってまた働いた。
「近頃は仏法に勇猛堅固の志をもって向う者がなくなった。ただ柔和になり、無欲になり、人は良くなったけれも、仏法の怨霊になるような人はいない。勇猛心を出し、仏法の怨霊にならねばならぬ」。正三はそう思っているのである。
そこへ或る日士が来て「此頃無常というものがわかって来て、物事があわれになりました」と云った。
正三は叱りつけて云った。「唯今鎗をとって大敵に向わん者が左様な心を楽しみに居て何の用に立つことが出来るか」。
また或る日、落ちぶれた人が来て「私は貧楽になって心安い」と云う。正三はこれを聞いて「貧楽はよくない。福楽がよい」と云った。
中川一政 『随筆八十八』講談社文芸文庫
鈴木正三(1579-1655)は、主に曹洞禅を修めた人ですが、臨済禅の名僧知識とも親交を結び、律の荒行にも励んだ人。正三は「自分は遁世の身となって、師匠を求めたが、師匠とすべき人を見出す縁がなかった」といい、次第に独自の境地で仏法を学んでゆきました。やがて、どの宗派、どの教団にも属さず、自由な立場で、民衆のために実際の生活に役立つ新しい仏教の教えを説きました。
正三は座禅と念仏を重視し、「禅よし、念仏よし」の立場をとりました。禅では「仁王不動禅」を提唱し、「仁王像や不動像のように厳しい心、激しい心を持って座禅し、その気持ちを一日中持ち続けよ」といい、念仏は「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、息を引ききり、引ききり、強く念仏せよ」とか、「眼を見すえ、拳を握り、きっと胸を張り出して、ナマイダブ、ナマイダブと申せ」とすすめます。
「仏法と渡世の術は同じで、各々の職分の中に仏法を見出せ」と説き、「一鍬一鍬に、南無阿弥陀仏を唱えて耕作すれば、必ず仏果に至る」といいます。
自らのスタイルで仏法を逮得し、今日一日を精いっぱい生きること。それが、そのまま仏道修行であると言い切り、勇猛堅固な意志を貫き通すことを第一としました。ふらふらと日々をやり過ごす毎日ですが、せめて日を限って、大地を踏みしめ「仏法の怨霊」といわれるような修行の足跡を刻みこみたいと思います。




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