白鳩の社
2011 年 1 月 15 日
(Nさん) 卯辰の宝泉坊というのは、宝泉寺のことですか?
( 私 )はい、そうです。
(Nさん) あ、やっぱり。実は、私、金沢市無量寺の白鳩神社の総代をしているNと申します。実は、白鳩神社の拝殿は、宝泉寺から来ているそうなんです。ご存知でしたか?
( 私 ) えっ! そうなんですか。初めて知りました。
昨年6月1日、そんな電話のやりとりがありました。そこで、ふと、思い出して、白鳩神社を初詣してきました。
江戸期の建造物と思われる拝殿は、当山の現本堂とよく似たデザインで、その規模はおよそ半分。唐破風つきのオシャレな建物でした。
白鳩神社の拝殿は、明治五年(1872)に卯辰山の宝泉坊から堂宇を移築したといいます。 明治元年の神仏分離令で、宝泉寺の伽藍の一部が取り壊され、それが白鳩神社へとうつされ、白鳩神社の拝殿に転用されたようです。
(参考) http://www.spacelan.ne.jp/~daitoku-k/page_file/photo.html
明治元年(1867)三月、明治政府によって神仏分離令が出されました。仏教寺院や僧侶を無用のものとして排斥する運動です。これによって、古代以来の神仏習合を禁じ、全国に廃仏毀釈運動がおこりました。それまで伽藍に併設されていた寺院と神社を明確に分離させたり、神社を司る寺院が取り壊されてしまいました。そして、たくさんの仏像や経典が焼かれました。
摩利支天を本尊に祀る当山も廃仏毀釈の例外ではありませんでした。この史実はひどく悲しいことです。だけれども、当山ゆかりのお堂が薪に焼かれず、神社の拝殿に転用されていることがわかっただけ、まだ幸せなのかもしれません。冬空の下、お経を唱えながら、胸がいっぱいになりました。
南無摩利支尊天





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