第1陣 高野山足湯隊、現地派遣
2011 年 4 月 10 日
4月4日〜7日 宮城県南三陸町で足湯
第1陣 足湯隊 (4/4 – 4/7) 現地リポートと、雑感少々..【現地情報】(2011年4月9日)
東日本大震災から11日で1カ月。死者と行方不明者の総数は9日、警察庁のまとめ(午後7時現在)で2万7836人となりました。しかし、不明者数は、津波被害が激しかった宮城県の3市町(仙台市、東松島市、南三陸町)が集計に含まれていません。福島第1原発の事故で、住民が県内外に避難した福島県は、集計数を出しているものの、実数の把握は困難なのが実情です。
警察庁によると、死者は1万2915人(7日にあった最大震度6強の余震時2人を含む)、行方不明者は1万4921人。不明者は宮城県の仙台市、東松島市、南三陸町の数が入っていません。(時事通信社、4月9日)
津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の安否不明者が、最大で2871人とわかりました。当初は人口1万八千人のうち約1万人と連絡がとれないとされていました。7日までに8割の安否が確認でき、現時点で不明な人は2871人まで減っています。(朝日新聞、9日朝刊)
現地リポート1 2011,4,10
4月4日から7日の予定で、南三陸町の避難所で被災者支援に出かけました。齋籐・北原・辻の北陸チーム3名です。目指す避難所は、左右にかき分けられた瓦礫の道を辿って、坂を登り切ったところにありました。私たちが着く前に、高野山真言宗相模宗務支所の有志が、発電機・ガソリン・投光器・まかない君(鍋・かまど・バーナー)水・食料など救援物資委を届けてくれました。迅速な行動に頭が下がります。
ここは、水も電気もありません。夜間1時間だけ、発電機を回して電灯をつけます。便所も外です。お風呂もありません。
区長さんに了解を得て、ここで足湯をさせていただくことになりました。
5日、午前11時前、はじめて避難所の中に入れていただきました。入居者は18名だとお聞きしました。ご挨拶をして、おかあさんたちに近づくと、怒濤の如く、津波の恐怖を語り始めました。
話を聞き終えて、外に出ると、赤い帽子のおかあさんが手招きしています。
おかあさん「にいちゃん、ちょっと、こっち、こっち、、 サングラス。これ、私と思って、かけて。」
足湯隊 「え、いいんですか?」
おかあさん「あ、いいの、いいの。もらって。もらって。」
足湯隊 「いいんですか?」
おかあさん「いいの、いいの。これ、私と思って、使って。そして、長生きできるように、拝んで!」
足湯隊 「あ、、はい、、」
さっそく、丸坊主にしぶいサングラスをかけてみました。仲間も、サングラスをもらいました。
おかあさんは、抗ガン剤治療を受けて帽子をかぶっていました。いきなり、とんでもないものを預かってしまいました。あまりにも唐突で、呼吸を忘れるほど、固まってしまいました。
足湯が始まると、みんな足に粉がふいています。津波にのまれた塩まみれの足を丁寧に洗いました。お風呂がない現場では、たいそう足湯が喜ばれました。
「足湯してくれたから、ご飯たべて」と、促されるまま、いきなり、避難所で昼食をいただきました。相模支所の有志の皆さんもいっしょです。なにもかも、想定外の展開で、みんな、ただ、流されるがまま.. 元金剛峯寺総務部長Sさんは、どんな状況でも、えべっさんのようにニコニコしておられました。さすが、そこにおられるだけで、みんなに安心感を与えます。
去る3月24日、福島県伊達市のマッキーに物資を届けたご縁から、マッキーが友人を誘って、足湯を手伝ってくれました。5日に相模隊が帰ってしまうので、明日、3人で足湯ができるのか不安でしたが、思わぬ助け船が入って、なんとか足湯を続けることができました。大阪のTさんも合流してくれました。
避難所の掲示板に、お亡くなりになった方々の持ち物や特徴を記録した紙が貼ってありました。相模宗務支所の自布団長さんに相談した結果、午後4時、集会の後、全員で般若心経を唱える運びとなりました。一同、海岸の方に向かって、般若心経と大師御宝号をとなえました。
6日、足湯が始まると、子どもたちもやってきました。将来、マッサージ師を志すという少年S君(小学3年生)がいました。足湯のお礼と言って、私たちをブルーシートの上に寝かせ、背中にまたがって、手慣れた手つきでドンドン、モミモミ、背中を踏んでくれました。
昼前に自衛隊がやってきて、食事の配給がありました。避難所で、またご飯をいただき、昼からまた足湯をしました。やがて、子どもたちが、足湯のタライに頭を突っ込んで、頭を洗い始めました。その姿を見て、洗髪を求めるおかあさんがやって来ました。福島のマッキーがシャンプーしてさしあげました。能登半島の被災地ではあり得なかった、普通では考えられない状況に、アタマが着いて来られず混乱してきました。
私は台所をしきっていたおかあさん(避難所シェフ)の足を洗いました。お湯を足に入れるやいなや、チリ地震で家を流されたこと、今回2度目の津波で家と身内が流されたこと、話が延々と続きます。ただ、おかさんの目を見て、じっと手を取り、頷くばかりでした。マッサージどころではありません。だんだん胸が苦しくなってきました。いつのまにか、呼吸することを忘れ、胸が張り裂けそうになりました。
おかあさん「みんな流された。」
足湯隊 「・・・」
おかあさん「支援物資、たりてる。だけど、たりないもん、欲しいもんがある。」
足湯隊 「それは、なんですか?」
おかあさん「くうねるたれる、、、」
足湯隊 「え、?」
おかあさん「くうねるたれる、、、」
おかあさん「人目を気にせず、食う・寝る・垂れる、ところ。それが欲しい。
このことをみなさんに言って下さい。一日も早くできるように言って下さい。せめて、それだけは、お願いします。」
足湯隊 「わかりました。お伝えします。」
おかあさん「それから、子どもたちの学校、早く作るように言って下さい。日本がダメになります。」
足湯隊 「学校ですね。そうですよね。本当にそうですよね..」
手をさっすって頷くだけです。
瓦礫が迫る坂の上、ちっぽけな避難所。そこに、現在8名の高齢者が住んでいます。公園を挟んだ家々には、生き残った方々がひっそりと身を寄せ合って暮らしています。みんな、ここを離れることができない方々ばかりです。
来週、電気が復旧する予定です。
7日、Tさんが避難所で「ミスタービーン」のビデオを上映しました。子どもたちが大笑いしたそうです。
帰途、横浜の徳恩寺さん「炊き出し隊」と情報交換。今城さんが送ってくださった足湯用のサラシを弘法寺へ届けてもらいました。今城さん、ありがとうございます。水がなくて、洗濯できない避難所で、大切に使わせていただきます。
足湯隊の役目は、被災地に居場所をこしらえ、寄り添い、ぬくもりを提供し、つぶやきを拾って、それらを必要に応じて、行政や専門家、みなさんにお伝えすることです。その橋渡しが大切な役目となります。傾聴ボランティアです。
引き続き、東北地方でのボランティア活動(避難所支援・ボランティア拠点立上げ・足湯による傾聴ボランティア)をおこなう予定です。
(被災地の風景2)
足湯が終わって、ボーと立っていると、涙目で近づいてくる女性がいました。
ありがとうございました。本当にありがとうございました。昨日のお経、こころにしみこみました。おけげさまで、私たち家族は、この丘に住んでおり無事でした。だけど、いったい、何がおこったのか、今でも、まだ、信じられません。たいへんだったことは、わかります。だけど、涙さえ出てきません。そんな自分に嫌気がさしていました。
ところが、昨日、たくさんのお坊さんがお経をとなえる、その声を聞いて、はじめて、泣けました。わーわー泣いて、泣いて、帰ってからも、涙が止まりませんでした。それで、ようやく、ただ、受け入れるしかない、受け入れるしかないんだ、と思えるようになりました。本当にありがとうございました。
本当によかったんですかね?
いや、よかったんです。よかったんです。少なくとも、私は、救われました。お経を聞いて、はじめて、たくさんの人々が、本当に亡くなったんだ、と生き残ったみんな、きっと、そう、思ったんじゃないですか。お経の声、本当にすごいと思いました。足湯もよかったです。また、きっと、必ず、来てくださいね。
しっかりと、手を握ってくれました。
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《被災地支援》
・4月18日(月)午後から 足湯の講習会 (足湯の練習をします)
高野山真言宗 東京別院 東京都港区高輪3丁目15ー18 電話 03-3441-3338
・5月2日~5日、6日 宮城県南三陸町で足湯による傾聴ボランティア (第二次足湯隊派遣)




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