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第2陣 高野山足湯隊、現地派遣

2011 年 5 月 10 日

5月2日〜6日 宮城県南三陸町で足湯

第2陣 足湯隊 (5/2 – 5/6) 現地リポートと、雑感少々..

【現地情報】(2011年5月9日)
◆津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町歌津の海辺の集落を、町の高台に移す計画が住民主導で動き始めました。中心となるのは江戸中期から続く地元の住民互助組織「伊里前契約会」。契約会は400~500戸以上の住宅建設が可能な20ヘクタール余の共有地を供出することで、災害に強い新たなまちづくりにつなげたい考えです。(河北新報)

◆宮城県南三陸町は、東日本大震災関連の情報を町民に発信する臨時のコミュニティーFM局を開設する方針が決まりました。周波数は80.7メガヘルツで、早ければ17日にも放送を開始するようです。放送では、炊き出しや給水の生活情報をはじめ、津波警報などの防災情報を発信。避難所の様子のリポートも。(河北新報)

現地リポート2             2011,5,9

私たちは、行政や会社から派遣される医療チームや専門家ではありません。ただのボランティアです。誰もお膳立てをしてくれません。自己完結・自己責任・無料奉仕がモットーです。

でも、ここに仲間がいます。それが、なにより心強いです。全員が「足湯」をマスターしているので、すぐにでも被災地に飛んでいけます。こんな凄い仲間は、ちょっとほかにはありません。継続は力です。

ふつう、被災地でボランティアする場合、まずボラセンに出かけ、朝からお行儀よく並んで、自分たちができることとを紙に書いて、ひたすら出番を待ちます。運良く被災者のニーズにマッチングできたら、被災地に入ることが許されます。運が悪ければ、何もすることなく不発に終わることもあります。それがイヤなら、ツテを頼るか、ゲリラで潜入するほかありません。この場合、過去の被災地支援の実績と経験、そして、仲間とのつながりがモノ言います。それらが認められ、信用を得られれば、即OK。すぐさま、被災地でお役に立てられるでしょう。でも、超有名人でないかぎり、飛び入りは危険です。ヘタすれば、叩き出されます!いろいろ当たって砕けて経験を積んでいくと、なんとなく要領がわかってきます。

来るべき日が来るまで、ひたすら情報収集の日々が続きます。インターネット・ツイッター・地図・るるぶが大切な情報源となります。ときには、とんでもないデマに惑わされたり、ハッタリをくらわされることがあります。そのつど、カーと血圧が上がって、胃がひっくり返ります。だけど仕方ありません。いずれにせよ、なにがおこっても「だんどり」の鍛錬だと思えば、ハラもたちません。右往左往・行き当たりバッタリは、ボランティアの日常です。笑ってごまかせ!

ところが、びっくり。急転直下、一期一会、本当に鳥肌がたちました。願いは被災者に通じます。おかげさまで、南三陸町の復興支援の中心を担っておられる地元の方々と繋がることができました。彼らは、避難民でありながら、避難所を運営し、そこに常住して、被災者の支援に当たっています。地震発災時から6日間だれからも支援されず、広場に「HELP」とメッセージをしたため、自衛隊のヘリコプターを待ったそうです。ぬれた洋服を焚き火で乾かしながら、必死でふんばってきたのです。そんな彼らのシモヤケの足をぬくめるところからボチボチ始めたいと思います。

今回、なによりうれしかったのが、南三陸町のキーパーソンと出合えたこと。そして、彼らを五味さんと藤本さん(元輪島市山岸仮設区長)につなげることができたことです。

とどのつまり、家を失った避難民のこころは、同じことを経験した者にしかわからないのです。被災者どうしがお互いに声にならない声を伝えあい、共振しあって、そこから、何かが始まるような気がします。お互いが強く握手を交わす、その姿に大きな手応えを感じました。感動に胸が震えました。思い出すたび、鳥肌です。

過日、仙台在住のMさんが、某所で「父や家族、新旧の職場の利用者・職員のために働くことが私の支援活動と言えそうです。」と、おっしゃっいましたが、それこそ、本当の支援です。ハラが据わった男の言葉です。旅人にすぎない私たちのやれることは、鼻くそみたいなもんです。

それでも、なお、何かお手伝いさせていただくとなると、やはり、地元ボランティアとの「協働」が必須の条件となるでしょう。そのなかで、自分たちの特色を活かせばよいのです。その一つが「足湯」というツールを用いた「傾聴ボランティア」ではないでしょうか。

避難所から仮設住宅へ生活の拠点が移れば、その必要性はますます高まるだろうと予測されます。これまでの経験を活かし、地元のみなさんと協働することで、被災者のニードにこたえます。その過程がそのまま「こころのケア」につながるはずです。被災者あってのボランティアです。

「次からボラセン通さず、じかに入ってください」

いきなり、ありがたいお言葉を頂戴して、私は泣きそうになりました。足湯を実際に経験してもらったリーダーの素直な言葉です。次回、ご当地の避難所と仮設住宅で足湯をさせてもらいます。貴い人の繋がりに繋がりに涙です。

あるとき、避難所にタレントと政治家がやってきました。さっそく、地元の役人と名刺交換をして、いっしょに並んで、何枚も写真を撮って、聞き取り調査をして、任務を果たして帰ろうとしました。ちょうどそのときです。

一部始終を見ていたGさんが、

「おい、被災者の話、聞いたんかい?」と、一言。それを聞いて、あわてて被災者をさがす、彼らの姿がちっぽけに見えました。

被災地では、だれもが力を合わせて、みんながんばっています。自分の宣伝ではなく、党利党略ではなく、被災者のため、日本の将来ためにトコトン骨を折って下さい。あなたたちにしかできない支援があるはずです。もう一度よく考えて、必ずまた来て下さい。そして、もっともっと被災者の声に耳を傾けてあげてください。一度っきりなら、あなた方は、ただの野次馬さんです。



(被災地の風景3)

道ばたの瓦礫は大切な家や物。決して「ガレキ」とは呼びたくはない。飴細工のようなガードレール、橋桁、ビル、チョロQ(ミニカー)のような自動車。どれもこれも、ウソのような現実。しかも、私が立つ足元、眼前に拡がるおだやかな海。その下には、大切ないのちが眠っている。だけど、それは「ディオラマの風景」。そんなことを考えながら、一人でボゥ~と道ばたに座って、iPhoneをさわっていたら、S君が友だちといっしょに近づいてきた。

 

S 君「あ、この前の、、、    こんにちはー (私の iPhone を指さして)それで、津波、みれる?」
足湯隊「ん?」
S 君「南三陸町の津波、みれる?」

足湯隊「みれるよ」
S 君「わ、みたい、みたい!」
足湯隊「えーと、、、ちょっと、まってね、、」
S 君「そ、そ、それ! うわー、はみま(ファミリーマート)流れた~」
足湯隊「・・・」
S 君「はみまのヨコ、あぁ、○○くんの家、流されるぅ、、、」
S 君「あ、あ、あ、、、く、くるま、くるま、にげろ~、にげろ~」

S君が、たまたま通りかかった区長さんを呼び止めて、
「区長さん、南三陸町の津波、みれるよ。あ、はみま、流れた、、、」

南三陸町旭ケ丘

南三陸町旭ケ丘 この坂の下は..



区長さんは、子どもたち様子をちらっと見て、そのままどこかに行ってしまった。

ただでさえ、被災地の子どもたちのテンションが高い。それが、また、津波の動画を見て、いよいよ頂点に達した観があった。津波の動画を見終わって、私の手元に帰ってきたiPhoneには、子どもたちの手汗がべっとりとついていた。

それを見た瞬間、これまで、なにげなく見ていた「ディオラマの風景」が、正真正銘「リアルな地獄」へと変わった。

今、私が座っているこの丘は、ここを目指して車を走らせ、その途中、津波にのみこまれた人々が駆け上がろうとした、聖なる場所。彼岸の浄土だ。すぐ下まで瓦礫が押し寄せ、メチャクチャになった車が積み上げられている。

未だ水道が通らない、1日二回給水車がやってくるこの丘の避難所で、私たちは、なぜ、どうして、足湯が許されたのだろう.. そして、また、別の丘でも..
その責任は重い。

 

第4陣 足湯隊の派遣は、6月を予定しています。詳細は追ってお知らせします。
いっしょに汗を流してくださる仲間を募集しています。さあ、やりましょう!

 

蛇足…
今日は、父の百ヶ日忌。実家に帰らず、自坊で理趣經護摩供を修法し、父の菩提を祈った。高野山で入院中の母を思うと、苦しい。私の支援するべき現場は、東北なのか、高野なのか.. 金沢を拠点に双方を行ったり来たりしそうだ。

 
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