摩利支天 > 富田流剣法 1

2012 年 1 月 9 日

富田流剣法と摩利支天 1

剣術の三大源流の一つに数えられる中条流は、足利義満に仕えた三河の中条長秀を鼻祖としますが、その奥義はのちの越前の富田(とだ)家に伝えられ、富田流とも呼ばれ大いに隆盛しました。

富田流略系

富田流略系



そもそも中条流は、中条兵庫頭長秀(ちゅうじょうひょうごのかみながひで)が念流を開いた慈恩(じおん)に兵法を学び一流を興したと伝えられています。

往昔、日向の国鵜戸岩窟で、慈恩が摩利支天尊をまつり、兵法と武芸の修行に修練されていたところ、昼夜の区別なく常に鬼神が出現し、修練の援助を得て、漸く兵法と武芸の奥義を極められたとされています。

その後、慈恩の高名を慕って、鵜戸岩屋を訪ねる修行者は非常にたくさんありました。そのうち秘術を伝授された者は、信仰深く、道義正しい数名であっ たようです。その中でも、中条兵庫頭長秀(ちゅうじょうひょうごのかみながひで)のみ、秘術を免許皆伝せられ、そのあかしに、摩利支天尊の霊像をも受け継 いだのです。

長秀は、摩利支天尊を信仰し、心身の錬磨に一層精を出したので、名声はいよいよ高くなり、国中に響き渡りました。このことが、将軍足利義満公の知る ところとなり、長秀に命じて御開扉をなされえたところ、その霊威に打たれてえ伏して拝まれ、霊像を奉安崇敬したく譲渡を乞われたそうでえすが、長秀はこれ をお断り申し上げ、一段の尊敬の念を深めたのです。

それからというもの、中条流は、兵庫頭から甲斐豊前守(かいぶぜんのかみ)伝えられ、さらに大橋勘解由左衛門(おおはしかげゆざえもん)に伝わり、富田九部右衛門長家へと、正式に伝授されていきました。

中条流(富田流)の正流のあかしとして、摩利支天尊霊像が代々受け継がれてきたのです。それが、当山の秘仏摩利支尊天霊像です。

 
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